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岩瀬労に言わせろう!

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タバコはいいの?

  昨日、警視庁は、北朝鮮から覚せい剤を密輸入したとして、韓国籍の無職禹時允と指定暴力団極東会系組長宮田克彦の両容疑者を逮捕した。時を同じくして、サザンオールスターズの元ギターリストが、覚醒剤保持で逮捕されたとのニュースも聞いた。ミュジシャンを初めとする芸能界の覚醒剤事件は後を絶たない。手軽に手に出来る環境と一種の特権階級に居るような甘えた意識がそうさせるのだろう。

 <いわろう>の子供の頃、近くの駅頭で度々数十枚のおぞましい写真画像が並べられていたのを今でも覚えている。それは見たいのだが、見るのを憚れるような画像群だった。その恐ろしさが、およそ半世紀近くの時を越えて、いまでも脳裏に刻まれている。
 <ヒロポン>に蝕まれた症例が、数十枚の画像に展開していたのだ。まだテレビなどそれほど普及していない時代だったので、駅前の電気屋の街頭テレビの<力道山>に群がってくる幼い少年少女の目にも、否応なしにそれは飛び込んできたのだ。
 
 昭和30年代も前半当時は、今よりもっと<覚醒剤>が蔓延する危機感があったのだろう。あの駅頭の写真の数々は大いに抑止力を持っていたように思う。
 ところでだ!百害あって一利なしっていわれる<タバコ>は、このまま放置していていいのだろうか?まさか多額の税収源だから辞められないでいるのじゃないだろうに。

  <タバコ>も一種の麻薬だ! <いわろう>も30歳までの10年間もの間<煙草依存症>に陥っていた。一番ピークの時など、一日20本程度は吸っていたように思う。
 そして、何度<禁煙>を決意し、何度<禁煙>を破ったことか・・・。ある病気で、二十日間ほど入院した折、「たばこは、いいのでしょうか?」って担当医に質問して「いい訳ないでしょう!」ってその医師に鼻で笑われたのがきっかけで、<禁煙>に成功した。 とはいうものの、禁煙までの道のりは遠かった。

  起き掛けの寝床で吸う一服と食後の一服の習慣が、最後の最後まで残った。あれからおよそ四半世紀が過ぎた今、改めて思う。あの喫煙者として<タバコの害>に平気で晒されていた十年間の馬鹿な自分に悔いるのだ。<タバコ>が今でも白日の下、街頭で堂々と平気で、それも自販機で誰にでも買える状況も、これまた<いわろう>の理解できない社会の仕組みのひとつだ。
2006/5/13
by iwaserou | 2006-05-13 09:35 | Trackback(1) | Comments(0)

兄のこと

 大リーグ、ヤンキースの松井秀喜外野手がレッドソックス戦の一回表の守備中に左手首を骨折した。巨人入団一年目から続いていた日米通算の連続試合出場は1768試合で残念ながら、ストップした。誰よりも本人が一番、残念で悔しい思いをしているだろう。
 野球、巨人とくると、たった一人の巨人ファンの兄のことを思う。<いわろう>は二男三女の五人兄弟の末子である。本当は三男三女の六人兄弟だったのだが、長男は赤ちゃんの頃、重い肺炎で亡くなっている。母が晩年になって、風邪気味の赤ん坊を映画館に連れて行き、風邪をこじらせたのが大きな原因だったと悔恨の念に沈んでいたのを覚えている。
 
 ところで、その次男でありながら長男の兄は、中学、高校を通して野球部のレギュラーで活躍したスポーツマンである。当時は父親と<野球部を辞めろ!辞めない!> で小競り合いをよくしていたのだが、終いには勝手にしろってことになってしまっていた。その兄の決まって自慢するのが<甲子園のグランド>での体験だ。兵庫県代表予選は、あの甲子園のグランドで執り行われていたからだ。晴れの全国大会に出場した経験はないのだが。兵庫県在住であったばっかりに、貴重な体験が出来ている。<甲子園の土の感触は違う>らしいのだが、野球そのものに、あまり興味のない<いわろう>には、なんの値打ちもない体験だと思う。

 その九つ年上の兄が、子供の頃恐ろしくて、近寄りがたい存在だった。兄と子供の頃は同室で寝起きを共にしていた。大学受験勉強を深夜まで頑張っている兄の背中は、とても凛々しく尊敬と憧れをも持っていた。その当時の<いわろう>は、まだ小学生で少年だったので、よけいに大人っぽくなってゆく兄が眩しかったのだろう。
 
それから何十年か時が流れ、兄も私も結婚し、子供を持ちお互いに父親となったとき、一人の男として向き合った兄の頼りなさには、何度となく落胆した。<いわろう>が、とても優秀であると言う意味ではない。生き方、考え方の違いが歴然としてきたからだろう。もちろん、どちらがいいという比較論でもない。互いを認め合う心が、現在の兄にも私にも欠けているように思う。もう、子供の頃にキャッボールを教えてくれた<お兄ちゃん>は何処にもいない・・・。いま、いるのは対峙する無感心な男同士だ・・・。
2006/5/12
by iwaserou | 2006-05-12 23:36 | Trackback(2) | Comments(0)

ひきだしの中

  今<東京タワー>がちょっとしたブームになっている。江國香織さんの小説『東京タワー』が昨年映画化され、そのブームの先駆けになった。また一方、昭和30年代の東京が舞台の映画『ALWAYS 三丁目の夕日』が日本アカデミー賞最優秀作品賞・監督賞など総ナメにした。こうした作品のヒットが、ブームを盛り上げ、東京タワーの来塔者数も例年より一割ほど増えたらしい。

  昭和30年代後半、神戸に住んでいた<いわろう>の中学時代の卒業旅行は東京方面だった。もう40年以上も前のことなので、不確かなのだが国鉄(今のJR)の・・・そう確か<希望号>って言ったと思う修学旅行専用列車で何時間も掛けて、東海道本線を上京したのだ。今、静かに目を閉じて、その旅行を思い起こせば、皇居の二重橋、上野の西郷さんの銅像、それにこの東京タワーがセピア色の画像と共に記憶に残っているのだ。
 
  当然ながら当時から展望台までのエレベーターは、設置されていたのだろうが、中学生の<いわろう>達は、外部に設けられた階段を一段一段展望台まで歩いて昇らされたのだ。当時から高所恐怖症の持病を持つ<いわろう>にとっては、かなりの決意が必要だった。お尻がむず痒くなり眼下に広がる東京の街並みが、徐々に小さく変貌してゆく様を眺めながら、赤く塗られた手すりを握りしめては何度も立ち止まっていたように思う。自分たちが今まで乗ってきた観光バスが、眼下でそれこそミニチュアーカーのような小ささで、大都会の東京の街が箱庭のような風景は、40年以上経った今でも鮮明な記憶に残っている。
 
  今、改めてこうして思えば、エレベーターでスゥーと展望台まで直行していたら、こんな思い出も語られなかっただろうと、あのとき階段で昇らせてくれてありがとうって言いたい。おそらく当時は、ブツブツ文句を言っていたように思うのだが・・・。記憶に残りうる体験は、時間の経過と共により醸成され、思い出の引き出しでいつまでも財産になっているものだ。
 
2011年の地上デジタル放送完全移行に向けて計画されている第二東京タワーが、600メートル級のタワーと君臨しても、あのとき眺めた東京タワーは<いわろう>の記憶の引き出しから、いつまでもなくならないだろう。
2006/5/11
by iwaserou | 2006-05-11 23:50 | Trackback | Comments(0)

記憶違いだった

  先日、会社の仲間とカラオケに行って来ました。猫も杓子もカラオケ!カラオケ!って騒いでいた頃とは、すっかり様子が違っておりました。何だか灯の消えたような雰囲気で意気揚々とドアーを開けた面々は盛り下がることしきりで、背中向けて<サイナラ!>しょうかと思うほどでした。そんな気持ちを見て取ったカラオケ屋の店員さんは、先頭で入って行った岩瀬の二の腕を掴むやいなや、今なら待たずに唄えますからって、店の奥に引き込もうとしてくる。今でなくても、いつだって待ちゃあしないだろうと思うのだが。
 
はいはい、逃げませんがなぁ~。団塊世代男二名、中年予備軍元女一名と現役男二名、今年の新入社員のカワユイ(?)女の子二名、の変則一個連帯の我々は、お好みの部屋に陣取り、互いののど自慢を競いました。って言っても<カラオケ>のいつものパターン、他人が唄っている時は、自分が次に歌いたい曲を探して、一人ブツブツ言っているタイム?
 ところで、本当に最近の唄って、訳がわからない。唄っているののか?話しているのか?はたまた、何を言っているのか?日本語なのか?外国語なのか?皆目わからないのだ。
 その点、団塊の世代の唄は明快だ。岩瀬はフォークソングパレードを久々に、若かりし頃に思いをはせながら、自分の唄に一人酔った。そして・・・♪浴衣の君は・・・上弦の月だった・・・って拓郎で締めくくった。
 
そのとき、ちょうど小窓から半月のお月さんが見えた。隣の新入社員Mちゃんに、岩瀬が知ったかぶりして、あの月は上弦?下弦?って聞いてみた。M嬢さすがに急に聞かれても、・・・理科で習ったけど・・・うんぬんかんうん???。すかさず岩瀬<上弦の月だった>って拓郎節で回答した。ところでM嬢ご免なさい!岩瀬はあのとき出鱈目を教えてしまったようだ。弦が上側にあるから、あの半月は上弦の月なんだって、たしか鼻膨らませて、自信満々回答してましたよね?。あれから文献をひっくり返して、改めて判ったのですが、岩瀬の言う<弦が上に張れる半月が上弦で、その逆が下弦の月>は、西の空にある場合のみ成り立つ事で、東の空(つまり昇りかけの月)では上弦、下弦が逆になる。 許してタモレ!岩瀬爺の記憶違いだった。完璧に見えるこの私にもたまにミスもあるのだ。
2006/5/10
by iwaserou | 2006-05-10 23:27 | Trackback | Comments(0)

身から出たさび

 岩瀬の担当のお客さんでの話。その会社Sでは、ある大手メーカーの試作品を主に製作している。試作の段階から、ある程度の量産までは対応可能な機械設備を保有している。
 ある製品の試作品が上手くゆき、5000個まで流れるようになった。企業内の努力もあり、そこそこ採算が合う仕事になったとき、親会社の担当課長がやって来て、今度から9000個になるので、お願いするとのこと。そこの社長は、慌てた「うちでは5000個製造の能力しかありません。」って断ったらしい・・。
 親会社の若い担当課長は、親の年ほどのその社長に「そうですか!じゃあ」って云って、今やっと採算合わせて、これから儲けようとした矢先の5000個の流れも一緒に引き揚げて行ったとか・・・。その後知ったのは、何でも関西方面の単価の安いところに転注(注文先を変えること)したらしく、数なんか9000個になっていなく、Sでは到底出来ない個数を吹っかけて、断るようにし向けたようだった。
 数週間後、その穴埋めの仕事を探すのに東奔西走しているS社長のところに、若い例の親会社の課長が訪れて、転注先の技術が駄目で、クレームばかり出され、製造ラインが頻繁に止まっている・・・。もとの単価でいいのでSでやって欲しいって泣きついて来たらしい。
「ラインが止まろうが、私の知った事じゃない!」って若造を追い返したらしい。
<若造のくせに課長と云うから頭も下げる。外へ一歩出ればあんたなんか相手にしない!>ぐらい云ってやればよかったと、そこの社長が、昨日のことのように話してくれた。
 その後風の便りで知ったところによると、その後、社内でもトラブルメーカーで、年下の係長より成績が悪く、上下関係が逆転し、職場に居づらく、すごすごと辞めていったらしい。身から出たさび・・・だろう。大切なもののプライオリティーを誤ると、何もかもなくしてしまうのが、この世の中のしきたりのようだ。
2006/5/9
by iwaserou | 2006-05-09 23:57 | Trackback | Comments(0)

手から手

  今朝の首都高速も一般道路も、普段の渋滞がウソのように、お正月並みにスムーズな流れであった。九連休がもたらした産業活動の小休止が、物流に大きく影響したのだろう。
 普段、経済行為に伴い人や物を弛まなく動かしている証拠なのだろう。北のものが南に、東のものが西に、縦横無尽に道路を行き交うことで、経済が成り立っているとも言える。
 インターネットで世界中の情報が、居ながらにして瞬時に交換できる時代になっても、物流は<手から手に運ぶ>という極めて原始的な仕事から脱却できないのだ。もっとも科学が進歩して、タイムマシーンやテレポーションが現実化すれば、話は別だが、まだまだSFの世界から抜け出しては来ないようだ。
 ネットによる個人レベルのオークションが大盛況とか・・・そんな個人対個人の取引による、たった一個の品物を送るだけといっても、数が纏まれば問題になるだろう。物流に幾らかでも影響する。ゴミの量と経済の関係のように、物流と経済は密接な関係にあると思われる。経済が進めば物流も自然と増加するのだろう。
 <宵積み(よいづみ)>とは、運送業界の専門用語だ。朝一番出発の荷物を前日の夜にあらかじめ積み込んでおく事だ。翌朝素早く業務が遂行出来るように前日から準備しておくのだ。少なくとも九連休の間の<宵積み>行為は少なくて、昨夜は<宵積み>するべく品物もほとんどなかったのだろう・・・そんな原因も幾らかはあると思われる今朝の道路事情だった。
 でも今日の午後から仕上がってきた製品や配送希望の商品をあちらこちらで、普段通り<宵積み>されただろう・・・だから明日の朝は早朝からトラックのエンジンがかかり、間違いなく首都高速も一般道路も普段通りに渋滞するだろう、道路網や道路状況の改善を望むのは当然だが、物流業界の目を見張るような革命的改革はないものだろうか・・
2006/5/8
by iwaserou | 2006-05-08 23:46 | Trackback | Comments(0)

言葉は生きもの

 岩瀬宅は、朝日と日経を読んでいる。元来は朝日党なのだが、次男が就職活動に必要だからとして、二紙読み始めることになり、その息子も既に何とか社会人の一員でがんばっている。それ以来そのまま読み続けて三年めの春になる。その日経の今朝の朝刊の<春秋>で、ファミコン敬語のことに触れられていた。ファミコン敬語?・・・ファミレス・コンビニで多用されている敬語?をそのように呼ぶらしい。
 
  先日の月初会議の折り、今年の新入社員のN嬢が出席者のお茶を入れてくれ、会議室まで、シヅシヅと運んでくれたときのことだ。折しも、営業部長がテンション一杯な大声を張り上げ、先月のノルマ未達成の営業マンをビシッ!バシッ!追求しているところだった。状況を察して出直そうとは試みながらも、身体は半分会議室の中、おすましのN嬢は真面目な面持ちで、緊張を押さえながら、まず上座の部長に湯飲みを進めながら「この湯飲みでヨロシカッタデショウカ?」って、思わず湯気をたててる部長の顔をのぞき込んだのだ。
 
  出席者全員が凍りついた。そして出席者全員が部長のリアクションを固唾を飲んで見守っていた。部長の口から出た言葉はなんと「イラッシャイマセコンニチハ!」であった。
そして、バツ悪そうな顔ですごすごドアーの方に逃げ帰るN嬢の背中に、「只今のようなお言葉使いなら、お辞めいただくカタチニナリマス!」って部長の追い打ち・・・。
 出席者全員、笑っていいものか?態度を決めかねていたところに、ホワイトボードの数字を指さして、また部長の発言「皆さん!今月の目標額のホウ、こちらでヨロシカッタデショウカ?」って。堪えていた全員の笑いが堰を切って、緊迫していた会議室に充満した。

  岩瀬はかねがねこの<ファミレス敬語>を攻撃する意見に不快すら覚えていた。そもそも、言葉なんて通じればいいのだと思う。変化のスピードが速ければ、若干の抵抗はあると思うのだが・・・。ら抜き言葉なんかもいい例だ。今じゃどちらでもあまり違和感を持たないだろう。実際、老舗として名高いデパートでも「こちら、お品物になります。」って言われる事だってありますもの・・・。あそうそう言い忘れるところだった。その日の帰り道、そのN嬢をファミレスにお連れして、コーヒー飲みのみ、元気出すようにって個人的にフォローさせていただきましたが、ヨロシカッタデショウカ?
2006/5/7
by iwaserou | 2006-05-07 22:40 | Trackback | Comments(0)

バラ園に行ってきました

4月29日にOPENした
千葉県佐倉の草ぶえの丘・バラ園に
ぶらっと、出掛けてきました。
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ちょっと気が早かったかなぁ~
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まだ、一割~二割しか咲いておりませんでした。
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見頃は5月中旬以降になるそうです・・・
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楽しみにして、また行きたいと思います。
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今度、行くときは一人じゃなく
誰かと行きたいものです・・・
by iwaserou | 2006-05-07 12:26 | Trackback | Comments(0)

蕪村も・・・

  ♪夏も近づく八十八夜・・は立春から数えて88日目の日で、今週の火曜日だった。そして今日は立夏、暦の上ではもう夏なのだ。朝、歯を磨きながら、カレンダーを眺めてそう思った。世間は九連休で 浮かれているというのに、産業の底辺の土台を支える任務を仰せつかった、零細企業の星!岩瀬は、そんな中、仕事にお出かけになったのだ。
 
  夏だ!単細胞な岩瀬は、半袖シャツ一枚で出掛けて行った。山間部の客先回りということもあったのか、夕方からの雲行きの悪さも加わり、ガタガタ震えながらの一日だった。

  先日、納めた機械の調子をお伺いしようと午後訪問した客先で、そこの社長さんから理不尽な要求を受けた。「岩瀬さん!クレーン本体はいいのだが、設置工事代がちょっと高いのでは・・?」見積を担当者レベルで決済させておいて、工事もなにもかも終わった今になって、値切り交渉もあったものではない。「・・・」岩瀬は始め、返す言葉もなく、ただ佇んでいるだけだった。「駄目ですよ!社長!それはないでしょう?」岩瀬は、辛うじて応酬した。その社長曰く、見積途中に急用で海外出張に出掛けることになり、工場長に決済を任せていたので、仕方がないのだが、帰国後いろんな業者との雑談で、その工事代は少し高いって言われたそうだ。
 
  それって・・・よくある同業他社の嫌がらせ戦法じゃあないか?・・・岩瀬は心の中で叫んだ。汚いことをする!愚劣なことをする!正々堂々と、かかって来い!それにしても、それを、この岩瀬に、ストレートに要求してくる社長の厚顔無恥さに呆れるばかりだ。
 帰社して、同僚Bさんに話したら、日常茶飯事の事だねと表情ひとつ変えようとしないのだ。不満足げな顔をしていた岩瀬をみて、同僚Bさんが戯けながら、蕪村の句「菜の花や月は東に日は西に」って風流にボケをかました。それを、どこで聞いていたのか、若いH君が二人に寄って来て、「岩瀬さん達もプレステやんの?」って訳のわからないことを言いだした。還暦前の二人がポカ~ンとしているのを見て、H君もまたポカ~ン。
 
  なんでも、パソコンソフトブランドオーガストが2003年9月26日に発売した、18禁恋愛アドベンチャーゲームに『月は東に日は西に ~Operation Sanctuary~』っていうのがあるとか・・・。年代の違いをお互いに確認させていただきました。
2006/5/6
by iwaserou | 2006-05-06 23:55 | Trackback | Comments(0)

一番古い記憶は?

 ♪だるまの模様が チョイト気にかかる・・・西条 八十 作詞、古賀 政男 作曲で、久保 幸江が唄って、昭和26年に大ヒットした「トンコ節」の一節だ。
 戦後の特需景気で浮かれた世の中に、繰り返し繰り返し流されたのだろう。岩瀬の幼年の頃、この一節をよく、口ずさみ周りの大人達に拍手喝采?の末、失笑されていたらしい。
 
  自分の一番古い記憶は何ですか?って先日あるラジオ放送の企画でリスナーに聞いていた。そのとき、太陽光線が燦々と降り注ぐ縁側で母と数人のおばさん達が、ガーガーいわせて自動編み機で編み物をしている傍らで、♪だるまの模様~・・・って壁にもたれた労少年が、口ずさんでいる光景を思い出したのだ。
 時代は26年だったとすると、労君はわずかに3歳ということになる。自動編み機の教室?を我が家でやっている状況からして、ひょっとすると30年に入っていたのかも知れない。いずれにしても小学校入学前の子供が唄う唄ではなく、近所のおばさん連中にしてみれば、真面目な顔で唄う労君を見て、さぞかし可笑しかったのだろう。
 
  改めて、ネットでその歌詞を拾ってきた。それはこんな歌詞だった。

一、あなたのくれた 帯どめの だるまの模様が チョイト気にかかる さんざ遊んで   ころが して あとでアッサリつぶす気か ネー トンコトンコ 
二、言えばよかった 一言が 何故に言えない 打ち明けられない バカな顔して また  帰る 恋は苦しい おぼろ月 ネー トンコトンコ
三、自分の浮気は 棚に上げ 留守に訪ねた 男はないか 髪の乱れが あやしいと
  これが男の くせかいな ネー トンコトンコ
四、こうしてこうすりゃ こうなると 知りつつこうして こうなったから 惚れた私が  悪いのか  迷わすおまえが 悪いのか ネー トンコトンコ

なんと艶っぽい唄。一節だけだといい、歌っていた自分に赤面した。当時の労のことを確認できる父も母も今は、この世にいない。自分の子供の頃に舞い戻ったら、亡き母の笑顔に会うことが出来た・・・こどもの日だった。
by iwaserou | 2006-05-05 22:10 | Trackback | Comments(0)