岩瀬労に言わせろう!

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<いわろう>は、団塊世代のジジイです!今日も元気だ!ブログが書ける!

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神戸はどっちだ?

  ピンポ~ン 「宅配便です!」印鑑を押して受け取って、両手に抱えたひとつの箱。なんと、<いわろう>の寡黙な次男から家のカミさんへの<母の日のプレゼント>カーネーションの花束だった。「ノルマなのよネ~」カミさんは受け取るなりそんなことを言った。次男は大手の某運送会社に勤務するサラリーマンで、社員に<ノルマ>をかせられたから仕方なく送ったのだと言うのだ。「素直に感謝しろ!」即座に<いわろう>はカミさんを叱責した。息子が、母親に送ってくれた行為に陰口でも難癖をつけてどうする。<ノルマ>だろうがなんだろうが、送らない奴は送ってくれないのだ。母の日すら忘れている奴もいるご時勢に、その言いぐさはないだろう。
 
<いわろう>の母親は昭和54年8月10日午後12時25分、入院先のS病院で、心臓に直接<電気ショック>を何度も与えられながらも、蘇生することなく、<いわろう>の涙溢れる瞳の中で、この世を去った。享年65歳<いわろう>31歳の猛烈に残暑厳しい昼下がりだった。父から<母危篤>の電話を職場に受けて、どんなに急いでS病院に急いだことか?飛び込んだ病室の光景は今でも鮮明に瞼に残っている。
 
飛び込んだドアーと真反対の窓から、差し込む夏の日差しの逆光に、浮かぶ光景は筆舌しがたいものだった。馬乗りの医者が、母の心臓めがけて、電気ショックをやっているところだった。<いわろう>は涙声で医者に懇願した。「もう!やめて!もういいから!」
医者はそんな言葉を聞きもせず、ただひたすらにショックを与え続けた。その度に母の身体は弓なりになり、単なる一個の物体のようにベットで上下していた。
 
母の数々ある思い出の中で、もうひとつだけ選ぶとしたら、やはり幼年時代のあの怪我のときの思い出だろう。少学二三年の頃、近所の子供達とチャンバラごっこをして、追われ逃げ惑っているとき、足がもつれ転んで溝のコンクリートの端に左瞼をぶつけ、裂傷を負い、左目が真っ赤な血だらけになった。当時の<いわろう>はこのまま失明してしまうのだと落胆していた。そのとき病院まで背負いながら「大丈夫だから!」って宥めてくれた母のあの広くて暖かった背中の感触だろう。<いわろう>にはカーネーションを捧げるあの愛情溢れる背中の母は、この世にはもういない。母の眠る墓のある神戸の方向に、ただただ合掌する母の日だった。
2006/5/14
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by iwaserou | 2006-05-14 22:53

兄のこと

 大リーグ、ヤンキースの松井秀喜外野手がレッドソックス戦の一回表の守備中に左手首を骨折した。巨人入団一年目から続いていた日米通算の連続試合出場は1768試合で残念ながら、ストップした。誰よりも本人が一番、残念で悔しい思いをしているだろう。
 野球、巨人とくると、たった一人の巨人ファンの兄のことを思う。<いわろう>は二男三女の五人兄弟の末子である。本当は三男三女の六人兄弟だったのだが、長男は赤ちゃんの頃、重い肺炎で亡くなっている。母が晩年になって、風邪気味の赤ん坊を映画館に連れて行き、風邪をこじらせたのが大きな原因だったと悔恨の念に沈んでいたのを覚えている。
 
 ところで、その次男でありながら長男の兄は、中学、高校を通して野球部のレギュラーで活躍したスポーツマンである。当時は父親と<野球部を辞めろ!辞めない!> で小競り合いをよくしていたのだが、終いには勝手にしろってことになってしまっていた。その兄の決まって自慢するのが<甲子園のグランド>での体験だ。兵庫県代表予選は、あの甲子園のグランドで執り行われていたからだ。晴れの全国大会に出場した経験はないのだが。兵庫県在住であったばっかりに、貴重な体験が出来ている。<甲子園の土の感触は違う>らしいのだが、野球そのものに、あまり興味のない<いわろう>には、なんの値打ちもない体験だと思う。

 その九つ年上の兄が、子供の頃恐ろしくて、近寄りがたい存在だった。兄と子供の頃は同室で寝起きを共にしていた。大学受験勉強を深夜まで頑張っている兄の背中は、とても凛々しく尊敬と憧れをも持っていた。その当時の<いわろう>は、まだ小学生で少年だったので、よけいに大人っぽくなってゆく兄が眩しかったのだろう。
 
それから何十年か時が流れ、兄も私も結婚し、子供を持ちお互いに父親となったとき、一人の男として向き合った兄の頼りなさには、何度となく落胆した。<いわろう>が、とても優秀であると言う意味ではない。生き方、考え方の違いが歴然としてきたからだろう。もちろん、どちらがいいという比較論でもない。互いを認め合う心が、現在の兄にも私にも欠けているように思う。もう、子供の頃にキャッボールを教えてくれた<お兄ちゃん>は何処にもいない・・・。いま、いるのは対峙する無感心な男同士だ・・・。
2006/5/12
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by iwaserou | 2006-05-12 23:36

一番古い記憶は?

 ♪だるまの模様が チョイト気にかかる・・・西条 八十 作詞、古賀 政男 作曲で、久保 幸江が唄って、昭和26年に大ヒットした「トンコ節」の一節だ。
 戦後の特需景気で浮かれた世の中に、繰り返し繰り返し流されたのだろう。岩瀬の幼年の頃、この一節をよく、口ずさみ周りの大人達に拍手喝采?の末、失笑されていたらしい。
 
  自分の一番古い記憶は何ですか?って先日あるラジオ放送の企画でリスナーに聞いていた。そのとき、太陽光線が燦々と降り注ぐ縁側で母と数人のおばさん達が、ガーガーいわせて自動編み機で編み物をしている傍らで、♪だるまの模様~・・・って壁にもたれた労少年が、口ずさんでいる光景を思い出したのだ。
 時代は26年だったとすると、労君はわずかに3歳ということになる。自動編み機の教室?を我が家でやっている状況からして、ひょっとすると30年に入っていたのかも知れない。いずれにしても小学校入学前の子供が唄う唄ではなく、近所のおばさん連中にしてみれば、真面目な顔で唄う労君を見て、さぞかし可笑しかったのだろう。
 
  改めて、ネットでその歌詞を拾ってきた。それはこんな歌詞だった。

一、あなたのくれた 帯どめの だるまの模様が チョイト気にかかる さんざ遊んで   ころが して あとでアッサリつぶす気か ネー トンコトンコ 
二、言えばよかった 一言が 何故に言えない 打ち明けられない バカな顔して また  帰る 恋は苦しい おぼろ月 ネー トンコトンコ
三、自分の浮気は 棚に上げ 留守に訪ねた 男はないか 髪の乱れが あやしいと
  これが男の くせかいな ネー トンコトンコ
四、こうしてこうすりゃ こうなると 知りつつこうして こうなったから 惚れた私が  悪いのか  迷わすおまえが 悪いのか ネー トンコトンコ

なんと艶っぽい唄。一節だけだといい、歌っていた自分に赤面した。当時の労のことを確認できる父も母も今は、この世にいない。自分の子供の頃に舞い戻ったら、亡き母の笑顔に会うことが出来た・・・こどもの日だった。
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by iwaserou | 2006-05-05 22:10

ゴンのこと

 今朝は寝過ごし掛けた。春眠暁を覚えず・・・だ。それを破ったのは愛犬ゴンの吠える声だった。見慣れぬ犬が垣根の前を通ったようだ。近所迷惑を避け、慌ててゴンを散歩に連れ出し、状況が飲めた。ゴールデンウィークなので、朝の愛犬の散歩を普段あまりやっていないご主人がやっているみたいで、たまたまゴンの前を散歩コースにしたからだ。
 
  ところでゴンの名付け親は、この岩瀬だ。名前の由来には語ればドラマがある。そもそも二代目を襲名した今のゴンは<女の子>なのだがゴンと無理矢理命名したのだ。先代のゴンは岩瀬がまだ小学三年生のころ、父親の友人から譲り受けた雄の雑種犬で、ワンパクで、いたずらが好きで、ゴンタくれだったので、<ゴン>と、これも労少年の命名だった。
 
  当時随分と可愛がっていた。昔は今のようにドッグフードなどないので、ゴンの食するものと言えば、家族の残飯が定食だった。労少年は、いつも自分の食事の分をゴンのために、残してはゴンに与え、それを美味そうに食べてるゴンを眺めているのが好きだった。
 今のゴンには神経を尖らせている塩分の与えすぎなど気にも掛けず、みそ汁のぶっかけご飯やカレーライスやあらゆる人間様と全く同じメニューを与えていたように思う。
 
  先代のゴンの散歩は進んで労少年がやった。雨が降ろうが風が吹こうが、ほとんど労少年がやった。ゴンが好きだったから当たり前なのだが、散歩の目的にはもうひとつ大きな目的があったのだ。散歩途中の公園で、たまに出会う小型犬をつれた他校のカワユイ少女に出会いたかったからだ。今思えば、あれが仄かで淡い<初恋 >だったと思う。名前も何も知らずじまいで別れてしまったのだが、先代のゴンの思い出としっかりリンクして今でも時々思い出すことがある。
 
  労少年は、学校が終わると一目散でゴンの小屋に直行して、野原を一緒に駆け回ったり相撲を取ったり、お手お変わりなどの躾の真似事をしたり、仲のいい親友のようなつき合いをしていた。そんなある日、いつものように小屋に直行した労少年を待っていた悲劇は、「労!ゴンは返した!」という母親の冷酷な言葉だった。その二三日前に姉の指を噛んだから、ゴンは危険だと決めつけ、可愛がっている労がいない隙を見て、どこかにあげてしまったのだ。その夜、泣けて泣けて、暴れて、暴れ泣き疲れて眠ってしまった悲しい思い出がある。だから<女の子>であってもゴンという名の二代目を襲名させたのだ。
2006/5/2
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by iwaserou | 2006-05-02 22:24

小鳥がくれたもの・・・

今朝、朝刊片手に朝食をせわしなく摂っていたら、ここ何ヶ月も会話らしい会話をろくすっぽ交わしていなかった家内が庭先を指差して「シジュガラがゴン(愛犬)の毛を集めてる!ほら…」って私を呼ぶのだ。この時期になると毎年、ゴンの冬毛が夏毛に生え変わり庭中毛だらけになるのだが、その掃除を僅かでも手伝ってくれてると家内は微笑んで言う。

  そんな健気なシジュガラを夫婦で眺めながら、彼らなりに生きてく事に一生懸命なんだ!って互いに感銘もした。おそらくお父さんシジュガラなのだろう、家族のために純毛の暖かい巣をこさえる為に、脇目もふらずガンバッツているのだろう。ゴンは朝食時には、室内に居るため、鬼の居ぬ間の洗濯よろしく、猛スピードでゴンの毛だけをちっちゃな嘴いっぱいに頬張るようにかき集めていた。

DNAに組み込まれた種族の保存としての家族を愛する本能のなせるワザだろう・・・。

 さぞかし家族に会いたかっただろう元陸軍兵士の上野さんが20日、63年ぶりに故郷の土を踏んだと夕刊で知る。太平洋戦争、米ソ冷戦と時代に翻ろうされた人生が母国語の日本語すら忘れさせたようだ。なのに妹の名だけは、はっきりと呼ばれたそうだ。
 
  岩瀬はしみじみ思う。実父の残してくれたわずかばかりの遺産相続で家裁まで持ち込み骨肉の争いをしたあげく音信不通の兄や姉のこを・・・。 年賀状のやりとりすら全くない、謂わば、空白のここ十余年の歳月の流れの重さを・・・。累々と流れる祖先からの血縁は、絶対に切れるものではないのだ。重たい腰を上げ、高い敷居を超え、腹から悔恨の情を湧かせ、末子であるこの岩瀬が折れなければ・・・絡まった糸は解けないかも知れない。
シジュウガラの必死の行動や上野さんの面会をみながら、岩瀬はそんなことを思った。
2006/4/20
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by iwaserou | 2006-04-20 20:33